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居酒屋 三代目 四斗平
当店のイチオシ
株式会社 重富酒店
730-0022 広島県広島市
中区銀山町10-12
082-244-4147

酒セレクトショップ
四斗平誕生秘話

居酒屋 三代目 四斗平(しとへい)

生ビールへの想い・・・
それは、旨いビールを提供したいと願った、三代に渡る物語・・・・

▼昭和初期




机に座っている眼鏡の男性が初代四斗平

初代 四斗平は 今の中央通あたりに、居酒屋を開店させる。
当時、酒屋も経営しており、その酒屋で自家ブレンドした「日本酒」を売る、宣伝酒場として営業。 とても庶民的な店で、地域の人から愛されたお店だったと聞いています。
四斗平の名前の由来は、日本酒の樽で一番大きい「四斗樽」(よんとだる・しとだる)を抱えても
「平ちゃら」という語呂合わせ?で 四斗平(しとへい)と名づけたと聞いています。

当時の常連客『田中万吉画伯』から、初代四斗平に送られた「絵(赤富士)」が原爆で消失することなく今も本社に飾ってあります。




田中万吉画伯
戦前の第一回二科展で受賞「河岸の裏」大正三年十月
現在も画伯の作品が、広島県立美術館に収蔵されています。


▼戦後
昭和初期から続いた店舗は原爆で消失し、初代四斗平は戦争から帰ると、酒屋業のみを再開させます。

そして、四斗平の二代目を継いだのは、初代の姪「倉本夫妻」。
二代目四斗平は、中の棚にて、京懐石四斗平として多くの人々に愛されたようです。
その二代目夫妻の長男が、プロゴルファーの倉本昌弘であることは多くの方がご存知でしょう。

主人は、焼き物の大家としても有名で、女将は、お茶の世界で有名な方でした。
体調不良等で、昭和40年頃には店を閉め、その跡地には焼き肉のラリーズさんがお店を出されました。

戦後まもなくの頃に戻りますが・・・・
初代四斗平は「生ビール」と出会います。

「この旨い生ビールを広島の人に飲んでもらいたい」

当時の広島には、、まだ生ビールは存在していませんでした。 
それは、生ビールを扱える人もお店もなかったからです。

初代四斗平は、生ビールを扱いたい。
その思いで、当時ビール工場のあった、西宮に単身出かけていきます。
たぶん、彼の性格から推測すると「押しかけた」といったほうが正しいかもしれません。

ドイツ人の技師から、樽(当時は木樽)の原理、取り扱い方、ガスの管理、ビールサーバーの取り扱い 等々 直接指導を受け、その後、広島の地で、一年間ビールは生ビールだけというレストラン 「かねまさ」 をオープンさせます。


初代四斗平(右)と、当時のビール担当者(左)


初代四斗平(右)と双子の兄(中) 兄弟二人でかねまさを開業




当時のかねまさの生ビールは、木樽の開栓は難しく、ひと樽全部がダメになることもしばしば。

ガス圧の管理も、現在のような減圧弁はなく、ガスがホースを流れる音を聞きながら、ボンベの元栓を調節しながらガス圧を調節し、適切なビールを抽出。

おまけに、泡につまようじを立てて、沈まずに刺さっているビールしかお客様に提供しなかったほどの「こだわり」だったそうで・・・・

お店の経営的には火の車で、レストランかねまさは一年で閉店となりました。


しかし、その後は、レストランではなく「ふぐ」を主体に双子の兄がリニューアルオープン。
現在も、「かねまさ」と「かねまさ別館」として、広島を代表する「ふぐ」のお店として愛されています。



初代四斗平は、飲食店経営をやめ、酒屋業に専念します。
当時、広島には生ビールの樽とビールサーバーを取り扱う酒屋はあっても、その樽とサーバーの取り扱いを指導する人間が居なかったそうです。

そこで出てくるのが、初代四斗平の長男です。

彼は当時高校生(修道)。
学校から帰ると、学ランのまま飲食店にでかけ、ビールサーバーの出前講座を連日のように実施して回ったそうです。
この時、初代の「生ビール」へのこだわりは二代目に引き継がれていきました。




現在では、近代的なビールサーバが開発され、サーバの取り扱いもメーカーさんが実施されるのが当たり前のようになりました。




時は過ぎ・・・初代四斗平の孫である三代目は、サントリービールの「生ビールセミナー」に出かけます。

そこで、管理とサービスで生ビールは格段に旨くなる事を知ります。
いや、ちがう・・・・今の提供方法は旨い生ビールを「まざわざまずくしている」と気付きます。


それから一年間かけて、全ビールメーカーの生ビールセミナーに通います。
当時は2日間かけてのセミナーがキリンビールさんであり、京都工場まで一泊二日で出かけました。(経費を節約するため、大阪のカプセルホテルに泊まり、夜は小さなライトで復習をしました)


そこでのセミナーはこれまでの「生ビール観」を変えるものでした。
ドライバーを渡され、ドラフトコックを分解することを指示されます。
生ビールを美味しくする「原理・原則」を学びました。

そして三代目は、各ビールメーカから習った「生ビールセミナー」のエキスを、自分なりに編集しなおし飲食店向けに弊社会議室にビールサーバーを持ち込み独自の「生ビールセミナー」を始めます。

弊社の得意先を中心に、50名近い方にセミナーを実施し、当時流行り始めたインターネットで「店名の公表」等を始めました。

 




しかし三代目の生ビールへの「思い」は、空回りする事が多く、美味しい生ビールを提供するお店はなかなか定着しなかったのが事実です。


そんななか時は過ぎ 弊社で飲食店を経営するチャンスがやってきました。


コンセプトは「生ビール」。
やっとこの思いを生かせる時が来たかと興奮しました。

店名にかなり悩みました。 やはり弊社が開業する居酒屋は四斗平しか思いつきません。
当時、二代目の倉本婦人は体調不良で入院されていました。 

「四斗平」の名前を使わせて欲しいとの申し入れに、快く承諾をくださいました。
その後体調が急変され、四斗平のOPEN日とご葬儀は同じ日になったことを「縁」のように感じました。


開店準備の中で、三代目がこだわったのは「生ビール」だけ・・と言っても過言はないでしょう。

ビールメーカに「日本一、いや世界一旨い生ビールが提供できる、ドラフトコックを探してください」「金額はいくらかかってもかまいません、日本製でもドイツ製でも・・・世界中から探してください」とリクエスト。

これはかなりの難題だったようで、支店・支社では解決できず本社の営業まで稟議があがっていくことになります。

そうなると、時間だけがどんどん過ぎていきます。
開店日は近づく、しかしドラフトコックが決まらない・・・あせる日々が続きました。


やっとのことで「提案」が届きました。 しかし、その場で「決定」はできません。


ビールメーカーさんに、提案する全てのドラフトコックを用意してもらい、実際に注ぎ、
味を確かめて決めたいと申し出ました。


そこで、四斗平ドラフトコック選考会が開催されました。


 

 




ここでの選考基準は 「おいしい クリーミーな 泡」です。

数時間・・・ドラフトコックを付け替え、ビールの品種を変え生ビールを飲み続けました。


そして・・・スタッフ全員が
「これだ!」 と 一致した ドラフトコックがありました。





四斗平仕様のドラフトコックの誕生です。

しかし、ドラフトコックだけでは旨い生ビールは提供できません。

○樽を冷やす冷蔵庫 (これはホシザキさんにたいへんご努力をいただきました)
○樽の鮮度 (これは酒屋の基本中の基本です)
○樽の管理・冷蔵 (四斗平では 最低でも24時間以上、静置冷蔵)
○ガス圧・ホールの長さ (ニットクさんの地道な努力で、最適な圧と長さに設定)
○ドラフトコック(四斗平仕様)
○注ぎ方(数年間の独自セミナーで会得した、四斗平方式)
○ジョッキ(専用スポンジで、手洗い、自然乾燥、冷蔵保管)
○サーバーの洗浄(毎日の水洗浄、週末のスポンジ洗浄)


「旨い生ビールをお客様に飲んでいただきたい」との思い・・・そして

「おいしいね!」「旨いよ」と言っていただけるお客様の声に、今日も「旨い四斗平の生ビール」は支えられています。












 
 
 
 
 





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